「神の愛から引き離されない」  04.09.12
                     ローマ8:31〜39

 「神が味方となってくださっているあなたであり、どんなものに
よっても引き離されないほどに、しっかりと神の愛に包まれている
あなただ。」との宣言が、教会に連なり生きている者に向けられます。
 ローマの教会の人たちだけでなく、現在の教会に連なる私たちに
向かっても、です。
 教会に連なった生活は、神の愛に包まれているからこそ可能となる
生き方です。

 「神が味方」というのは、「わたしたちのための神」という意味です。
神は、「神ご自身のため」よりも「わたしたちのため」を優先してくださる
方でした。
 <わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された
方は、御子と一緒にすべてのものを賜らないはずがありましょうか。>と
あります。
 本当ならば、御子イエスは、神さまが何よりも惜しむ存在です。
 それにもかかわらず、神は御子をクリスマスにこの世にお送りになり、
十字架への道を進ませました。誰のためでしょうか。そのままでは滅びて
しまう「わたしたちのため」です。
 神は、御子よりも「わたしたち」を惜しいと考えてくださいました。
それ程までの神さまの愛が、わたしたちに向けられていることが、
御子イエスによって明らかになりました。

 弱い私たちは、神さまの愛から引き離されそうになることがあります。
生活の中で出会う様々な困難は、終りの日の神の国の完成においては
なくなりますが、そこに向かう途上においてはありうることです。
 ところが、困難に会うと、すぐに心が揺らぎます。引き離されると言うよりも、
私たち自身が、神が味方でいてくえださることや、神の愛を疑い始めるのです。
 しかし、どんな地上の出来事も、神の御子をさえ、惜しまず死に渡された神の
愛に勝るものではありません。
 わたしたちを包み込んでいる神の愛の大きさを疑う必要はないと、
御言葉は繰り返し語りかけてくれます。
 信仰の目を持って自分の歩みを振り返る時に、神さまよって守られ、
支えられてきた形跡が山のようにあることを見出すに違いありません。